数日前、都内でさくらももこさんをしのぶ会があったそうですね。
上のレポートを読んでると、込み上げるものがありました。
もう亡くなられて3ヶ月が経つんですね。
次の帰国で本を買おうと思った矢先だった
アメリカに持ってきたさくらももこ作品は『もものかんづめ』だけで、エッセイ作品はまだ電子化されていなかったので、次の帰国の際には買いに行こうと思っていた矢先の訃報でした。
つい最近までLINEのブログも更新してたのに、本当にショックでした。
その後、9月に帰国した際に日本橋丸善に買いに行ったのですが、なんと
『もものかんづめ』以外全然売ってない!
それ以外を買いに来たというのに!
かなりぐるぐる探したのですが、広い店舗なのに全然置いてません。
特設コーナーができてるだろうくらいの見込みだったのに・・・
おそらく亡くなった直後で品薄状態だったんだと思います。
意外な場所で入手
こんな東京のど真ん中の本屋に置いてないんだから、もう今回の帰国では諦めようと思っていました。
ですが地元に帰った際、ダメ元で本屋をのぞいてみたところ、ありました。
しかもがっつり特設コーナー平積みドーン!
うちの地元って・・・と、なんとも複雑な気持ちになりましたが、なにはともあれ買えてよかったです。
今回買ったのは『さるのこしかけ』と『たいのおかしら』。
これでさくらももこエッセイ初期3作品が揃いました。
『さるのこしかけ』は読み聞かせ本だった
母がちびまる子ちゃんやさくらももこ作品のファンだったので、実家にはマンガやエッセイが何冊かありました。
その中でも特に母と私たち兄弟のお気に入りだったのが『さるのこしかけ』。
この本を夜な夜な母が私たちに読んで聞かせてくれるんですが、そのあまりのシュールさとバカバカしさに、
笑いで震える母の声、
流れる涙、
転げまわる子ども達・・・
寝かしつけどころか、テンションMAXになるのが常でした。
さくらももこ好きキャラ
そんな風に育ったので、母が買ってこなくても『コジコジ』や他のエッセイも自分で買って来るようになっていて、いつのまにか仲間内では”さくらももこ好き”キャラになっていたようです。
なので誕生日にさくらももこの本をもらったり、「訃報を聞いた時あんたのこと思い出したよ」と何人かから言われました。
自分としては”私は熱烈なファンだ!”なんてことは思っていないんですが、子どもの頃に読んだ内容が自分の一部になっているようには感じます。思い出とか考え方とか。
そういう意味ではやはり”特別な存在”なんだなと思います。
あらめて知るすごさ
昔はただ面白がって読んでいましたが、今改めて読み返してみると、その表現の豊かさに驚かずにはいられません。
同じ状況を描写するとしてこんな言い回し思いつかないよなと、しみじみとその凄さを感じます。
もう新しい作品を読むことはできないのかと思うとさみしいですね。
けどまだ読んでいない作品もたくさんあるので、これを機に読み逃している作品も追いかけたいなと思います。
いまでも読みたくなる理由
今回買った2冊については出版されて既に25年以上が経っており、しかもそこに書かれている内容の多くは作者の子ども時代の話だったりすので、この作品達はもはや”エッセイ”というよりは”昭和の人々の暮らしを知る読み物”と言っても差し支えないレベルで昔の話です。
だけど今読んでもちゃんと面白い。
その笑いがいまを生きる私の心を軽くしてくれます。
だから持って来た本以外にも読みたいなと思って買いにいきました。
最後に
さくらももこさん、
あなたの書いた文章に大変笑わされ、そして励まされました。
これからもお世話になります。
遠くから心をこめて。
burame